ラブユー貧乏・後編
アパートは6畳1間が割り当てられました。フロなしで築30年以上は経っていたと思います。
フロがない代わりに、アパートの敷地内にコインシャワーがありました。100円入れると5分間
お湯が出てシャワーを浴びられるのです。冬は最初の40秒はお湯にならず水のままなので、
最初からお湯を使うためには誰かが使ったすぐあとを狙う必要がありました。
部屋の窓からその人が終わって出てくるのを見張っていると、2つ隣の住人もやはり部屋の
窓から同じようにして様子を窺っていたりしてましたね。
間違いなく私の人生の中でどん底でした。生きていくだけで精一杯の生活でした。バイト代から
家賃2万円が引かれ、税金や保険料を支払うと食費に割けるのは1日800円が上限でした。
カップめんは1個100円もして高くて買えなかったので、アパートから1kmほど歩いたところにある
ディスカウントストアでバラ売りの袋のラーメンを買ってました。全く聞いたことのないメーカーでしたが
1袋35円が魅力でした。1袋だけ買うのは恥ずかしかったので買う時は2袋買っていました。
いつもお腹を空かせていました。お米は実家から送ってもらっていたので助かりましたが食材は長ネギと
春雨とめんつゆを重宝していました。ラーメンの具も味噌汁の具も炒め物も具はいつもネギでした。
そんな私に店のおやじさんと奥さん(2人とも60代後半から70代だったと思います)は賞味期限が
切れて商品にならなくなった牛乳やヨーグルトを「白幡君、これ持って行きな」と言ってくれたり、
配達が終わったあとに「ハラへってるだろ、雑煮食べて行きな」と言っては食べるものをくれました。
朝ひと仕事を終えてから勉強をしに行ってましたが、炊いたご飯だけ弁当箱に詰めておかずは近くの
肉屋で1つ120円のメンチカツと80円のコロッケを買って食べてました。また、スーパーで買ったバターを
炊きたてのご飯にのせて醤油をかけるバターご飯もおかずが要らないので好んで食べてました。
相当栄養の偏りがあったと思いますが、幸い大病はせずに済みました。が、カゼを引いて高熱を出した
ときは最悪でした。ここ10年は熱が出るカゼを引いたことはありませんが、あの時は辛くても代わりに
配達してくれる人がいないので、数日間フラフラになりながら配ってました。都内は結構マンションや
アパートの家庭が多く、2階や3階へはいちいち階段を昇り降りしなくてはならなかったのです。
タイミング悪く、月末で各家庭への集金時期と重なったのですが、月初にずらしてもらい難を逃れました。
そんな当時もランニングをしていたのですが最大のジレンマがありました。それは、練習しなければ速く
走れないが運動をするとハラがへる、ということです。ですのでこの時期は記録が低迷した時期でもありました。
今はそこからは這い上がり、少なくとも1日の食べるものに困らないようにはなりました。
当時のひもじさ・惨めさ・敗北感などのハングリー精神はきっと今後もランニングに役立つでしょう!