ラブユー貧乏・前編
♪貧乏(貧乏) 貧乏(貧乏) 涙の貧乏~ byロス・プリモス
懐かしいモノ第2弾です。私には雌伏の時代がありました。
2年弱ですが、司法書士試験合格を目指しながら牛乳配達員をしていました。
牛乳配達を選んだのは、新聞配達だと不幸なニュースも毎朝各家庭に届け
なければなりませんが、牛乳なら配達する家庭に喜ばれると思ったからです。
それ以外に牛乳配達が新聞配達と大きく違うのは、配達するものが同じではない
ということです。一口に牛乳と言っても、成分無調整のものから乳脂肪3.7%・
低脂肪・特濃・まきば・高原・カルシウム・コーヒー牛乳・飲むヨーグルト・ヨーグルト・
東毛牛乳等々の種類に加えて200ml・500ml・パック1ℓがあり、約40種類でした。
私が担当したのは約120軒ほどでしたが、月水金で2・2・3本の家庭があったり
火木土で2・2・3本だったり、月水金と火木土で交互に配達する家庭があったり
月木で3・4本だったり、数種類組み合わせて配達する家庭があったりと、完全に
暗記して配れるようになるまで、また、配達順序を覚えるまで大変でした。新たに
配る家・止める家もあり、種類変更する家までありーので、一度覚えてもすぐ変更
なんてのもザラだったし。
バイト君は全部で8人くらいいましたが、私は他のアルバイト君が配達する牛乳を
そのアルバイト君のために配乳する担当もしていたので、1時間早い朝3時半に
杉並のお店に着いていました。毎朝埼玉県狭山市にある小岩井牛乳の工場から
トラックで運ばれてくるので、もう1人の配乳担当君と手分けして作業し、それが
終わるとバイクに乗って配達に出かけるのです。バイクで配達するので、ちょうど
今頃の時季は7枚着込んでも寒くて寒くて仕方がありませんでした。ましてや雨が
降った日には手が真っ赤になってかじかんで惨めでしたね。手袋をするとビンを掴み
にくいし滑って落として割る恐れがあったのでいつも軍手だったのです。
つづく。
同型のスーパーカブ(もちろんもっとボロ)で配達。
2回冬を迎えましたが、雪が降ったときは滑って最悪でした。