‘その他’ カテゴリーのアーカイブ

マイカー

仕事で車に乗ることがとても多いですが、実は車は私のものではなく、嫁いだ

妹からの借り物です。スズキのワゴンR!事務所開業時に車を買えるほどの

お金はなかったので、2台目を買った妹から月々5000円で借りています!

ちなみに近くに駐車場も借りているのですが、駐車場代も月極で5000円!

 

そのワゴンRが先日走行距離ちょうど8万キロになりました!1年9ヶ月で

3万キロ位走ったことになります。1年目は電柱にぶつけてボディが凹んだり

縁石に乗り上げてバンパーが外れたりと、満身創痍でかわいそう・・。

いたわる意味も兼ねて、鉄道博物館で買った「女性専用車両」のステッカーを

いつ貼ろうかと思っていたところへ、妹からこれがお似合いと、別のステッカーを

もらいました。「BABY IN CAR」ならぬ「OYAJI IN CAR」オヤジって誰?

私?うそ?まだ、さんじゅーはっさーい!でも心も身体も10代のつもりー!

 

まあ、細かいことは気にせず、これからも事故に気をつけてあと10万キロは

走ってね!

マイカー① ちゃんとPにして停めて撮ったよ!

マイカー② あー、あるある。よく見るヤツね。

マイカー③ これを貰ったんだけど。どう解釈すればいい?

早慶レガッタ

春の風物詩、早慶レガッタを観に浅草の隅田川へ行ってきました!

学生時代にも行きましたが、その時はどちらが勝ったのか覚えていません。

何故、そこに行ったのかさえも。その早慶戦も今年で79回目を迎えました!

 

メインは対抗女子舵手付クォドルプル・第2エイト・対抗エイトの3つ。

私も今日初めて知ったのですが、クォドルプルというのは漕ぎ手が4名で

1人で2本のオールを持つんだそうです。エイトというのは漕ぎ手が8名で

1人1本のオールを持って漕ぐんだそうです。私はランニングによる影響で

腰痛持ちの3番テーブルですが、ボートも腰痛になりそうな競技ですね!

 

対抗女子は3.5艇身差という驚異の強さで早稲田が21連勝を達成!

第2エイトは昨年に続き慶応の勝利!陸の王者慶應は水上でも強かった!

そしていわゆる早慶戦は対抗エイトのことを指しますが、慶応艇がスタート

前の回漕中にトラブル発生!詳細は不明ですが、一部で沈没したとの

情報も!結局、スタート時間から1時間近くも待たされたあと、45分後に

スタート予定ですとのアナウンスが!陽も翳ってきたし、1人で待つには

そんなにヒマを潰せないので帰ってきました!

 

後輩が頑張っているのを見て、自分も頑張ろう!と思えた1日でした!

早慶レガッタ① 対抗女子舵手付クォドルプル。白の帽子が早稲田。

第2エイト。エイト艇は約17mあるそうなので、すごい差。早慶レガッタ②

早慶レガッタ③ 早稲田もよく頑張った!

現在の高さは349mです!早慶レガッタ④

早慶レガッタ⑤ ぼく、ド雷門!どこでもドア~!

花やしき!1人で乗ったら泣いてしまいそうだ。早慶レガッタ⑥

営団地下鉄だったころ

つい、更新がめんどくさくて知らんぷりしてしまいました!

さてさて、私の家の屋根裏には開けて楽しいダンボール箱がいくつかあり

昔懐かしい思い出の品々がたくさん入っています。

ここ最近のブログでは国鉄車両と蒸気機関車に触れたので、流れで電車

つながりということで今回は地下鉄を!

 

皆さんまだ記憶に新しいと思いますが、現在の東京メトロは6年前まで

帝都高速度交通営団と呼んでいましたね!皆さんの好きな営団地下鉄!

下の2つの写真は昭和57年11月、当時秋葉原にあった交通博物館へ

行った時にもらった下敷きと路線マップで使わずにとっておいたものです!

正確には大事にとっておいたというよりは貧乏性で使うのがもったいない

という気持ちの方が大きかったからかも。

 

銀座線や丸ノ内線の車両は味わいがありますねー。また、今あらためて

路線図を見てみると半蔵門線は半蔵門止まりだったのね。有楽町線も

池袋~新富町止まりだし。もちろん南北線や大江戸線もないですしね。

そりゃそうよ。なにしろ私、大学1年生の時のバイトで地下鉄南北線駒込駅

建設工事に携わったんですもん。地下建設現場だから空気が悪いし暗いし。

エスカレーターもまだ完成していなかったから、1袋20キロあるセメント袋を

担いで地上~地下ホームまで階段を上り下りするのすごく辛かったもの。

 

築地市場へも線路が延びてますね。鉄道輸送が行われていた証です。

市場の建物を上空から見るとカーブを描いているのはそのためです。

だから、市場の人たちは今でもカーブの部分を「ホーム」と呼んでいます。

今は廃線になった東京都港湾局専用線の晴海線と豊洲線もありますね。

ありゃりゃ、レインボーブリッジも京葉線もない!古い地図や路線図って

おもしろいですね!

ドラえもんがいたらタイムマシンに乗ってこの時代を散歩したいな。

営団地下鉄だったころ①

営団地下鉄だったころ②

秩父お花見紀行

やっとこさ忙しさも終焉を迎え、残務処理も一段落したので週末は飲みに

行ったり気分転換に秩父へお花見に出かけてきました!

 

見頃を迎えると見事な美の山公園の桜は、まだ固いつぼみも結構あって

少し時期が早かったようです。清雲寺のしだれ桜はちょうど今が見頃で

初めて行きましたが噂に違わずきれいでした!行って良かった!

 

その後は三峰口まで行って好きな蒸気機関車(パレオエクスプレス)を

見てきました!C58(シゴハチ)で動態保存されているのはここのみ!

テンダ式プレーリー型車軸配置・・とか書くとマニアっぽくなりますが

C57とかD51とかのCやDというのは動輪の数を指します。A、B、Cと

Cは3番目なので動輪(大きな車輪)は3つ。Dなら4つ。自転車を想像

するとイメージしやすいですが、車輪の直径が大きければスピードが

出るので客車向き、直径が小さければ車輪を4つ配置でき、馬力が

でるので貨車を牽引するのに向いているということです(マメ知識)

 

今月下旬からは芝桜が見頃を迎えるので、秩父へはまた行くんだ!

あ~楽しみ!

秩父お花見紀行① 秩父の春はこれからです!

菜の花畑!こーゆー風景すき!秩父お花見紀行②

秩父お花見紀行③ 清雲寺のしだれ桜!す・ご・い・で・す・ね~!

この日一番シビれた瞬間!動いてる~!秩父お花見紀行④

秩父お花見紀行⑤ 三峰口駅はターミナル駅なので転車台で方向転換!

同じ目的地へ行くのに、いつもとは違う、初めての道を通りました。

きっと普段の自分なら見過ごしていたと思いますが、赤信号の手前で

スピードを落としていたおかげで桜のきれいな脇道を発見!

しばらく進んでからUターンをして、車からおりてしばし見とれてしまいました。

 

さくらは、いい。

 

都内では散り始めてるらしいけど、こちらではもう少し楽しめそうです。

桜① AKB48の「桜の栞」を買いました!

北乃きいの「サクラサク」も買った!桜②

桜③ 4年前にはAKB48のデビューシングル「桜の花びらたち」を買った!

                                          歌を聴くだけでメンバーは良くわからないけど、いいよね!

エスクローズ

武蔵陵マラソンの前日の土曜日、司法書士会所沢支部のソフトボールチーム

“エスクローズ”で今シーズン初の試合を行いました!

対戦相手は初顔合わせとなるチームで、毎週練習を欠かさない強豪チーム!

 

私は前の週及び前の前の週に特別にノックを80本くらいと外野ノックを30本

(エラーはカウントせず)の特訓を受けてエラーやトンネルに対する苦手意識の

克服に努めて試合に臨みました!前にも書きましたが、何しろ球技というものが

大の苦手!とりえは出塁したときとトンネルしたボールを追っかける足が速いこと!

 

守備のポジションはライトですが、ここを女性の司法書士と奇数回と偶数回で

交代しながら守ります!守備につくときはいつも「ボールがきませんように!」と

祈りますが、左バッターの時に打球が思いっきりこっちにキター!!

ボールの落下位置の目測をいつも誤るのですが、この時も見事ボールは頭上を

越えてバンザーイ!ひー!!チームメイトに大迷惑をかけてしまいました。

 

その分、打席では3打数2安打3打点で何とかチャラになったかな?ダメ?

試合はめでたく10対11の逆転サヨナラでエスクローズの勝ち!

4月からは練習が土曜の朝7時から9時ですって!ゆっくり寝ていたーい!

エスクローズ バッチこーい!当方、後攻です!

運転免許センター~後編~

その時点で自動車学校に行かなくなってから半年以上経過していました。

ただでさえクラッチの加減が掴めずにエンストばかりしていた私にとってマニュアル

での受験は無理だと思い、AT車での合格を目指しました。

 

当然、試験に向けて路上で実際に車を運転して練習をするというわけには

いかなかったので、教習本を読んでイメージトレーニングあるのみでした。

しかし、車庫入れやクランクなどはどのタイミングでどのくらいハンドルを切れば

良いのか、すっかり忘却の彼方にあったのでカンに頼るしかありませんでした。

受験料は1回5000円くらいだったかも知れませんが、何回かは感覚を取り戻す

ためと、もったないけど最初から割り切って臨みました。

 

初めての検定のとき、もしかしたらAT車だし、なんとかなるかな?と淡い期待も

ありましたが、スタートしてしばらくして試験官が助手席のブレーキペダルを思いっきり

踏み込み「はい、戻って。」と冷たい言葉!ああ、5000円が・・。転んでもタダで

起きるのは悔しいので「どこがいけなかったんですか?」と聞いたところ、ぎろりと

こちらを向いて「ここは試験場であって教習所じゃないんだから。合否の結果以外

お答えしませんよ。学科試験だっていちいち理由を教えないでしょ?」と言い放ち

ました。ちっ!確かに正論なので何も言えません。こりゃあー相当かかるかもと

このとき初めてこの試験の厳しさを思い知らされました。

 

2回目からは試験を受けるために朝5時半にはウチをでて、電車とバスを乗り継ぎ

7時半頃には免許センターに着くようにして早い順番で受験しました。何度かはすぐ

「はい、戻って。」と言われましたが、しばらくすると最後まで運転し終われるまでに

なりました。合否の結果は当日に比較的すぐに分かりました。

 

仮免の試験には何とか7回目で合格しました!続く学科は1発で取りましたが

路上での技能試験は他の受験生も同乗しての運転になり、結構緊張しました。

もちろん、他の人が運転するときにも後部座席で観察してイメトレに励みました。

実地試験免除の公認自動車教習所の技能試験がいかに甘いのかがわかり

大変後悔もしましたし、不安も募りました。もし受からなかったらどーしよー?

当たり前に道路を走っている車を運転している人はみんな合格者なんだと思うと

その当たり前のことに苦戦している自分はダメ人間?と悲観的にもなりました。

 

路上試験はコースを暗記して正しいルートを走らなければならないのですが何しろ

土地鑑がなく焦りました。あれ?ここはどこ?試験官の無言のプレッシャーも感じるし!

2回目、3回目、4回目と回数が増えるたび帰宅する足取りは重くなり、人生何も

かもが自分に噛み合っていないように思えて不幸の真っ只中!って感じでした。

 

8回目の受験でやっと合格をもらったときはすごくうれしかったー!よかったよー!

家に帰ってからひとりで踊って教習本を蹴飛ばしてやりました。その後の学科試験を

終えた帰りには、もう2度とこんなところへ来るか!へへーんだ!と強気でした。

 

ところが、牛乳配達の仕事をすることになったとき、宅配以外にスーパーやパン屋へ

卸すための配達にハイゼットを運転しなければならなくなりました。マニュアル車!

結局、今度は練馬自動車教習所へAT限定解除の教習に通うハメになりました。

住民票は埼玉のままだったので実地試験を受けるためまたも鴻巣の免許センターへ!

このときは4回目の受験で受かりましたが、もう何も言う元気はありませんでした。

 

 

こうして、普通に教習所に通う人が28万円くらいで、かつ、せいぜい半年くらいで

免許を取得するところ、私は50万円超、かつ、初めて教習所へ通ってから2年半の

月日をかけてマニュアル車を運転できる普通自動車免許を取ったのです。

つくづく、しなくても良い苦労と遠回りをしてしまったなーと思いますね。別にいいけど。

これが私の鴻巣運転免許センターに関するにっくき思い出です!お・わ・り!

運転免許センター③ AT限定解除の時の受験票!

運転免許センター~前編~

さてさて、何度か鴻巣ネタに触れたところではありますが、忘れてはいけない

てゆーか、忘れることのできない過去はやはり運転免許センターネタですね。

 

今でこそ毎日車を運転していますが、私が運転免許を取得したのは大学を

卒業してから数年も経った27歳にもなってから。学生時代に取らなかったのは

車に乗ると酔ってしまうから!免許なんか絶対にとるもんかと思ってました。

しかし、すごく色々な事情があり、しぶしぶ自動車学校に通うことにしたのですが

入学早々都内の職場に就職が決まり、働きながら教習を受けることになりました。

 

ところが、その会社の休みは日曜日だけで、おまけに就業時間は朝9時から

夜9時でしたので教習所へは週末にしか行けませんでした。にもかかわらず

その教習所は当時、日曜日が時々休校になっていたので1回1回の教習の

間隔がすごく空き、ひどい時にはひと月に1回しか乗れないこともありました。

 

結局、教習期限オーバーとなってしまって私は放校となり、時間超過分を含めて

納めたお金約35万円はドブに捨てたも同然になってしまいました。もしかしたら

私の最終学歴は「ところざわ自動車学校中退」なのかも知れませんね。悪いことに

その数ヵ月後にはその会社も私に合わなかったので辞めてしまいました。いろいろ

犠牲にしながら、残ったものはなーんにもなかったのです。何をやっているんだろうと

ちょっぴり自己嫌悪に陥りましたが、再度教習所に通う気にもなれませんでした。

 

そんな時、免許は必ずしも教習所を卒業しなくても取れるということを知りました。

俗に言う「一発試験」というやつです。私はまだ見放されてはいなかったのです!

早速運転免許センターに電話して一発試験があるって聞きましたが何ですか?と

問い合わせました。センターの人の説明を聞いて、もうこれしかないと思いました。

要は運転免許センターで行われる学科試験と技能試験に受かればOKということで

話としてはとてもわかりやすいものでした。後編へ続く。

運転免許センター① ここへはウチから2時間近くかけて何度も通いました!

S字カーブやクランク、縦列駐車に苦労しました!運転免許センター②

上野恩賜公園

つがるかいきょおーふーゆげーしきー!

昨日は北の玄関、トーキョーは上野へ行ってきました。

ランニング仲間に絵を描いてる人がいて、その人が毎年この時期に開催される

展覧会に出展するので招待状をくれるんです。たぶん今年で8回目くらい。

 

上野は去年の今頃にやはりそのひとの展覧会へ出かけて以来なのでちょうど

1年ぶりですかね。毎年3/14~24までやるので春分の日あたりに行くんです。

会場も毎年同じ東京都美術館。まだ桜の開花宣言は出ていませんでしたが

1200本あるという桜の木の中には早くも咲いてるものがありました!ラッキー!

絵を見た後は上野公園をのんびりゆっくり心ゆくまで散歩をしました!

薬を飲んでいったお陰で花粉症の症状も落ち着いてたし、気温も高くてサイコー!

動物園も見てみようかと思いましたが「パンダいません」の看板見てやめました。

あれあれ!気の早い人たちが花の咲いていない桜の木の下で宴会をしているよ。

でもその気持ち分からないわけじゃない!「春」「上野公園」この単語だけで何故か

気持ちがソワソワしますねー。春の足音が物陰からガサゴソと聞こえてくる感じ。

 

広い公園内をひととおり歩いた後は年末に行かなかったアメ横を見てきました!

買い食い以外なんにも買わなかったけど、楽しかったな、ぼくちん。

ひとりでクレーンゲームだし、ちっとも淋しくも空しくもなかったし!

上野恩賜公園①上野はいつも思い出が深く刻まれます。

上野恩賜公園② 高1の12月、ここで行われた東京フィルの第九コンサートに来ました!

何を隠そう、私は根っからのクラシックファン!中学1年で生まれて初めて買ったLPレコードはオペラ序曲集!セビリアの理髪師が好き。

中学2年で生まれて初めて買ったCDはメンデルスゾーンのイタリア交響曲!メンデルスゾーンはヴァイオリン協奏曲もキレイ。

ヴァイオリン協奏曲といえばヴィヴァルディも素敵!特に第2楽章ラルゲット!バッハならカンタータ156番だしヘンデルのクラヴィーア組曲もかっこいい。

上野恩賜公園③ 国立科学博物館は高校1年の遠足で来ました!

上野恩賜公園④ 東京国立博物館!大学1年の時、ここの茶室でお茶会をしました!

                                                 私の流派は裏千家!このときは亭主を務めました!

上野恩賜公園⑤ 東京藝術大学。ゲイ大。高校の友人が2人ここに入りました。

今は声楽家として藝大でも教鞭を執っているご様子。もう一人は観世流能楽師として舞台に立っているらしい。

上野恩賜公園⑥ 春なのにお別れですか?

上野恩賜公園⑦ さいごーどん。

上野恩賜公園⑧ 不忍池とボート。楽しそう・・・。

上野恩賜公園⑨ やけ食いクレープ!

上野恩賜公園⑩ やけ食いたこ焼き!

上野恩賜公園⑪ いちご!おいしかったな、もう!

上野恩賜公園⑫ 戦利品!へへへ。

おやじさん

今年1月9日と11日のブログで書きましたが、私は平成11年から13年に

かけて東京都杉並区で牛乳配達のアルバイトをしていました。

 

先日、杉並区の区民事務所へ行った帰り道に約2年間を過ごした牛乳屋を

9年ぶりに訪ねてみました。おやじさんと奥さんどうしているかなーと思いながら。

・・・・

バイト期間中に1度だけ、たった1度だけ朝寝坊をしてしまったことがあります。

今でもはっきり覚えていますが、電話のベルの音で目を覚ますと時刻は3時半でした。

いつも2時半に目覚ましが鳴るようにセットしていたのに、二度寝してしまったのです。

ハッとして一瞬事態が飲み込めませんでしたが、電話に出るとおやじさんが

「石井ですが。どうしたの?」と、怒っているわけでもなさそうな声。

「すいません、すぐ行きます」「配乳が遅くなるから早く来てください」

 

そんなこともあったなーと懐かしい街並みを見ながらお店のある場所まで来ましたが

お店がありません。店舗の前にはいつも回収した空ビンが山積みにされていたので

路地を1つ間違えちゃったかな?と思いましたが、店の隣にあったクリーニング屋は

そこにありました。あれ?キツネにつままれたような感じでした。道路を行ったり来たり

してみたり、区画をぐるっとまわってみたりしましたが分かりません。

クリーニング屋のご主人(当時とほとんど変わってなかった)がワイシャツのアイロンがけ

を終えるタイミングを見計らってお店の中に入り聞いてみました。

おやじさんは数年前に73歳で亡くなり、奥さんはそのまま店をたたみ、クリーニング屋の

ご主人が引越し先を聞いてもとうとう教えてくれずにどこかへ行ってしまったとのことでした。

 

建物は取り壊されて今は土地が売りに出されていると聞いた時に、流れた月日の長さを

実感しました。賞味期限が切れた牛乳をくれたり雑煮を食べさせてくれたおやじさんにも

奥さんにも、もう会えません。

 

「はい、しらはたです。」 「石井ですが。どうしたの?」

おやじさん 店の前には空ビンがケースごと山積みにされ、

                                                       裏には配達用バイクが何台もあったのに、更地になってました。