2010年1月13日 のアーカイブ
華やかなりし頃
タリラリラ~ン!
前回・前々回のブログは貧乏伝になってしまいましたが、懐かしいモノ第3弾では華やかなりし
学生時代の思い出の品がでてきたので綴ってみようと思います!
大学1年の頃から卒業するまでの3年とちょっとの間、フジテレビでバイトをしていました。
部署は報道局の外信部で、簡単に言うと毎日NYとロンドンからその日のニュース映像と
原稿が送られてくるので、それを録画して日本語に訳して素材台帳を作成するという仕事です。
台帳は朝の報道会議にかけられ、使えそうな映像があればニュースとして放送されるのです。
NYとロンドンに集められた世界各国の映像があちらの時間で夕方にリアルタイムで送られる
のですが、時差があるので日本で受信するのは朝の4:50からということになっていました。
順次ロイター・ABCテレビ・WTNのLDNとNYから送信されてくるのです。WTNの素材は民放
各局が同時配信を受けるのでどこの局でも同じニュース映像が流れますが、ロイターとABCは
フジが独占契約していたんじゃなかったかなー。もう忘れた。
朝早い時間のバイトで、絶対に遅刻できないので毎日とても神経を使いました。もし録り損ねて
再送してもらうと、インテルサットだかパンナムサットという人工衛星使用料がかかるので数百万
という追加料金が請求されると聞かされてたのです。フジテレビは当時新宿区にあり、大学も
そこから歩いて20分ほどだったので遅刻しないよう部屋を借りて住んでました。このときもフロなし
トイレ・キッチン共同の4畳半でした。1階に大家さんが住んで、2階に貸間が5部屋あったのです。
学生アルバイトは4人いましたが、そーゆー訳でほとんど早稲田の学生でした。
私がバイトとして入って間もなく、ソビエトが崩壊しCISが誕生しました。クリントン米大統領が誕生
するまでの選挙戦を見届けたりボスニア紛争の勃発など常に世界情勢の最前線にいたような気が
します。また、英語、しかも時事英語漬けの毎日でした。原稿が届かないときは国際電話をかけて
英語で要求したり、耳で聴いて目で読んで、という日々だったので何も対策しなくても英検準1級に
合格しちゃいましたし。勉強させてもらいながら良い給料ももらってましたね。
結構有名人にも会いました。元アナウンサーの河野景子さんからコーヒーをもらったこともありますし
八木亜希子さんと朝4時にエレベーターで2人きりになったこともありました。それまで嗅いだことの
ない、すんごくいいにおいがして思いっきりスーハースーハー深呼吸しましたもん。木幡美子アナに
触らせてもらった時には天国に昇るような気分で、興奮して鼻血が出そうでした。
今でも時々遅刻しそうになる夢を見ます。あの頃に買った10数個の目覚まし時計は牛乳配達員の
頃はもちろん、20年近く経った今も動き続けています。
本当は全部夢だったんじゃないかしらって思うくらいいい思いをしましたってお話でした!おしまい!
視聴率3冠王をとると別途1万円の金一封も!