2011年3月17日 のアーカイブ
思うのです。
仙台在住の知人・友人が4人います。
地震発生から3日目の日曜の夜になって、やっと1人から無事を知らせる
電話がかかってきて安心しましたが、残る3人の安否は不明のままです。
住んでるのは仙台でも、その時どこにいたかによるのでとても心配です。
が、そもそもメアドや電話番号がわからないから連絡が取れないだけで
みんなどこかで無事でいると信じています。
今は何を書いても言葉だけがむなしく空回りしそうです。
しかし、生きているみなさーん!!しっかりと前を向いて頑張っていきましょう!
神様はその人が乗り越えられない試練は絶対に与えません。
試練はどんなにつらくても誰もが必ず乗り越えられるのです!
未だ安否が不明の方々の無事が一刻も早く、そしてできるだけ多く確認できます
ことを心より願っています。
一方で大勢の方々が亡くなってしまったことも事実として起こってしまっています。
その方々のご冥福を心から祈らずにはいられません。ペットなどの動物もです。
そしてここ数日は次のような言葉が繰り返し繰り返し頭の中で響いていました。
「あなたがくだらないと思っている今日という1日は、昨日亡くなった人が
どうしても生きたかった1日なんです」
時間の無駄遣いをせず、1日1日前向きに過ごさなければ罰があたりそうです。
というか、生きている人にはその責任があると個人的には思うのです。